オギャーと生まれる瞬間まで

母はオギャーと生まれるその瞬間まで、私が男の子であると確信?していたそうで、名前は当時ノーベル賞を受賞された江崎玲於奈博士の名前をそのまま採用!するつもりだったそうです。はたして結果は女の子で、驚いてしまった母にかわり、わたしの安里(あんり)という名前は叔母が(なぜか)命名したそうです。当時は杏子の杏が常用漢字として認められておらず、「安らぎの里」となったそうですが、その頃ではまだ珍しい名前だったので、よく名前を“ヤスリちゃん”などと間違えられたりしました。私は、父が生まれて育った埼玉県比企郡吉見町で育ちました。杉並から北に55キロ、今でも人口2万人の小さい町ですが、星空がきれいで手打ちうどんがとっても美味しい!自慢の故郷です(隣町の東松山市はこれまた美味な焼きトンがB級グルメとして有名です)。父は定年を迎えるまで、東京の全国共済農業協同組合連合会に勤務。現在は、JA埼玉中央理事として活動しています。母は嫁いでからすぐ、自宅から自転車で3分の吉見町商工会に勤務し、定年を迎えるまで祖母の面倒をみながら働いて父とともに家計を支えてくれました。