ライフワークは電線の地中化

3月31日は、西川倖月先生が国立劇場にて花魁披露。

3月21日の環境委員会では、「創エネ」の取り組みについて伺いました。昨年3月の大震災は自由に電気を使える社会、大量の電力に依存する社会を当然と思ってきた私たちに、大きな変革を迫りました。電気をどのように使うべきか、発電はどうあるべきか。エネルギーという観点からは、各家庭が、街全体が無駄なくエネルギーを使用する、そんな家づくり、街づくりが必要です。都では震災後の緊急対応としていち早く、家庭における創エネルギー機器の導入を支援しています。

太陽電池はもう常識ですが、皆さんCMで「エネごリくん」がウホウホって宣伝してるエネファームをご存知ですか。エネファームは燃料電池の通称です。太陽電池だけだと日照に左右されて電気の供給が安定しません。また太陽電池がつけられないという家だってあります。ですから、東京都は太陽光発電に加え、ガスによる発電=エネファームも支援しているんです。ちなみに我が会派の先輩議員が、両方を設置したところ、今年の1月は日照時間が少なかったものの160%の自給率だったそうですよ、すごい! さらに、そうやって家庭で創った電気をいざという時に備えて蓄えておくため、蓄電池の普及支援についても伺いました。

また、スマートメーターってご存知ですか。皆さんのお宅には毎月、電気会社の検針員さんが今月どれだけ電気をつかったか検針にきますよね。スマートメーターがあれば、家庭の電力使用量が30分単位で記録され、時間帯別の使用状況が分かるんです。そんな賢いメーターが普及すれば、季節ごと、時間ごとに異なる料金を設定することも可能でしょう。そうすれば、夏のピーク時に、頑張って節電した家庭がうーんと得をする、なんてことも可能になります。スマートメーターの設置がさらに進めば、同じ街の中で電力の不足している所、余裕のある所を常に把握し、相互に融通する「スマートグリッド」が実現するかもしれません! 質問と回答の全容については委員会のHP速記録からどうぞ。

3月20日、春分の日。久我山に住む知人が東京ジュニア・キッズ車いすバスケットボールクラブの事務局長を務めていて、今日はその交流大会。会場の障害者スポーツセンターは、北区と多摩の二カ所しかないんですが、目の見えない人が使いやすい音声付トイレなどが整備されていて、障害のある方にも便利な施設だなと思いました。

知人の事務局長が、交流イベントを企画しても、その情報をどうやって発信していくかが課題だとおっしゃっておられましたが、障害を持つ人がスポーツをやりたいと思っても、いつ・どこで・どんなかたちで参加できるか、情報が不足しています。

場所の確保も困難です。また障害者スポーツを支える人材の育成も遅れています。そんな様々な課題に対処していくため、国や他の道府県に先駆けて、東京都は障害者スポーツ振興計画を策定しました。多くの方に障害者スポーツに関心を持って頂くこと、障害者スポーツの場を障害のある方とない方の交流の場にしていくこと。2020年のオリンピック・パラリンピックの招致が、そのきっかけになればと願います。


下高井戸にある都立中央ろう学校は、大学などへの進学をめざし学力・資格・コミュニケーション能力などを習得できる全国で唯一の中高一貫型ろう学校です。平成18年に開校しました。今日、3月19日の高等部の卒業生代表の答辞は、自信と希望にあふれた素晴らしいものでした。学校の目指す教育が実践され、障害がありながらもそれに負けず、自己の可能性を伸ばそうとする学生たちが、それをしっかりと受け止めていました。

3月18日。大学時代の大切な友人が韓国で結婚式を挙げました。ゆっくり行きたかったのですが、結局は日帰りの強行軍になってしまいました。アニョハセヨー! 何しろ一人で外国に行くのは初めて・・・ちょっとさみしかった。金浦空港からタクシーに乗ってソウルのホテルに向かいました。40分くらい乗って3万ウォン、2000円くらいなんです、安~い! しかも高速料金は無料だし。運転手さんはとっても気さくで、「ハングルは話せない、イルボンサラミエヨ(日本人よ)」って言ったら、英語は話せる? って。つたない英会話で「結婚おめでとうって、韓国語でなんて言うの」とか色々教えてもらいました。韓国式の結婚式も初めて。すごくカジュアルなんです。普段着、お祝いなし、で受付で食券を買う(2~3000円くらい?)。みんなにウェディングドレス姿を披露して、契をかわして記念撮影。そしたら食堂に移動してビュッフェスタイルで勝手に食べ始めて食べ終わる・・・。その間、新婚の二人は民族衣装に着替えて挨拶にまわってました。堅くなくていいかも! 彼女はとっても民族衣装が似合ってました、幸せそうでした、ウルウル・・・。とにかく「キョルン、チュッカハムニダ!(結婚おめでとう)」

3月16日の午前中は都立永福学園肢体不自由教育部門の卒業式に行きました。石原事務所時代からお世話になっている肢体不自由児者父母の会の杉原千鶴子会長もお見えでした。平成21年に開校したばかりの新しい部門で、様々なご苦労もあるそうですが、小林校長先生の愛情に満ちた眼差しと、PTA会長さんのご挨拶からは、学校・PTA・職員さんなどの皆さんが良き絆をつくられたこと、それを今後につなげていこうというメッセージが十二分に伝わってきました。
午後は建設委員会です。委員会は13時に開会。私の質疑順は最後から2番目だったので午後6時半ごろだったと思います。まだ慣れないので、他の委員が質問している間も、ドキドキです・・・。
今回も行政には行政にしかできない仕事がある、それは街づくりであるという視点から、まず開かずの踏切をなくす連続立体交差化事業に関し、来年度都市計画決定を予定している京王線笹塚~仙川駅間の構造形式の選定方法や耐震性、環境配慮などについて質問しました。
また街づくりの大きな核となりうる都立高井戸公園の整備について伺いました。公園の予定地は京王井の頭線・富士見ヶ丘駅の南側に広がり、旧NHKグラウンドや王子製紙のグラウンドなどをあわせ17haにおよぶ規模です。現在も避難場所に指定されていますが、整備後は防災機能の向上や、地域の憩いの場となることが期待されます。しかし、その周辺の区道はほとんどが幅員4メートル未満の狭い道路で、多くの来場者をさばける状況とは到底思えません。周辺の住民や商店会などにも影響を与えます。単に公園を整備するだけではなく、近隣の道路・河川・公園と一体的に整備すべきと申し上げました。

最後はやっぱり電線の地中化について。都の努力で、首都高速中央環状線の内側の「センターコア」地域では電線の地中化は着実に進んでいます。また、多摩地域のように、新たに道路を整備するなら、最初から電線を埋めてしまうことも可能です。しかし、杉並のような住宅街では、歩道の幅に余裕がなく、現在の技術では電線の地中化は難しいんです。だから、狭い歩道の真ん中を電柱がふさいでいたり、お年寄りや小さい子供、障害のある方にとって危険な個所が残されてしまいます。しかし、防災の観点からも、そうした狭い道路でこそ、無電柱化が必要であると訴えました。そうした不便な道を放置すれば街の発展も阻害します。できないからあきらめるのではなく、どうしたらできるかを考えなければなりません。私の目指す、人にやさしい街を実現するためにこれからも頑張ります。建設委員会の速記録は都議会のHPでご覧下さい。

3月13日から15日には、メンバーではありませんが、初めて予算委員会を傍聴、仲間の応援もしました。三日にわたる長丁場に、各委員からは選出地域を反映した様々な質問がありました。東京って広いですから、私の暮らす杉並区のような住宅街もあれば、伊豆七島などの島、港を抱える地区、山々の連なる地域など、ところところによって抱える課題は違います。東京全体の発展と、地域の発展をどう整合させていくのか、東京と杉並・・・私の大きな課題です。それから、ユニークな質問もたくさんありました。山加あけみ先輩は我が党で障害者施策に熱心に取り組まれている議員ですが、他人からは見えない障害を持つ方が、社会生活の中でそのことを認識してもらうために、いま妊婦さんが付けているマタニティーマークのような共通マークを東京が作ったらどうか、と。2020年にオリンピック・パラリンピックを招致するんだから、世界に先駆けて東京がそういう試みをすることも必要でしょって。知事もデザインはどうしようって乗り気でした。議員になって何をするか、ライフワークってとても大切です。私はもちろん「電線の地中化」です。

3月10日の都立豊多摩高校の卒業式では、作詞金田一京助・作曲山田耕筰という校歌に感動しました。震災の時には、ご近所の妊婦さんが「家に一人きりで不安だから」と豊多摩高校に来られて、朝までいらしたとか・・・。地域に根差した学校なんですね。

都立市杉並高校は、全国大会でも受賞経験のある吹奏楽部が有名です! 今日、3月9日の杉高の卒業式では、式の進行に合わせた演奏がとっても素晴らしかった。

3月8日は、寺嶋寅夫さんの緑十字金賞受賞のお祝いの会。

3月2日は都立西高の卒業式。杉並には都立校が9校あるんです。私の都政レポートでもご紹介しましたが、農芸高校や工業高校、肢体不自由・知的障害・聴覚障害の子供が学ぶ特別支援学校など、東京都は教育に真剣に取り組んでいます。私も各都立学校から卒業式や入学式のご案内を頂いたので、喜んで出席させて頂きました。西高は進学校として有名ですが、クラスごとの卒業メッセージ発表など、とてもユニークな式でした。そうそう、男子はスーツ以外に袴姿など、女子も袴姿が多く、制服ではないのね。そういえば自分の高校卒業は何年前??? 指折り数えて・・・!? とてもショックでした。卒業生はこれから成人を控えて夢も可能性も広がります。と同時に社会的責任も生じます。思えば私が政治を志すきっかけを得たのも高校時代。不器用ながらその道を歩んでこられたのは、多くの人に支えられたからです。卒業生の皆さん、今までお世話になった家族や地域や社会を大切に、頑張って下さい!